精神障害者のインクルージョン__障害の種別をこえた協力と障害者権利条約第19条を中心に
Hyung Shik Kim
障害者権利委員会
Korea University of International Studies 名誉教授
New York State University Korea 主任教授
はじめに
国際障害同盟(International Disability Alliance: IDA)、バプトラスト、アジア太平洋障害者センター(Asia-Pacific Development Center on Disability: APCD)、キリスト教盲人ミッション(Christian Blind Mission: CBM)、そして精神障害者i)とともに仕事をしているアジア太平洋地域の多くの国を代表する出席者の皆さんに歓迎の意を表することから始めたいと思う。この仕事が精神障害者のインクルージョンというテーマについて韓国のKAMI(Korean Alliance on Mental Illness)によって組織されたということが、もっとも重要だと私は考える。世界中で「権利の喪失から表に現れてきている」(Quinn 2013)という意味でたいへん意義深い。管理され保護される「対象」として扱われる代わりに、自身の権利の自律的な「主体」として徐々に認識されてきている。精神障害者の現状は、まだアジア太平洋の多くの地域において自律的な人間として認識されるように奮闘しているところだ。実際に日常のほかの人との出会いにおいて根深いスティグマや偏見の感じられない国はない。あらゆる国の障害者にとって、地域での生活に包摂(be included)され参加するための努力は、例外なく承認のための奮闘を意味する。私の報告では、インクルージョン(inclusion)という概念をどのように理解すべきかについて考え、インクルージョンを達成するためのいくつかの戦略を探っていくつもりである。インクルージョンの達成において、私が決定的だが、現時点では十分に追及されていないと考えている障害種別をこえた協力の戦略的な重要性を強調しようと思う。
期待とともに障害の語りのなかに入ってきたインクルージョンは、国連障害者権利条約(United Nations Convention on the Rights of Persons with Disabilities以下、CRPD)が採択されてから使われるようになった。それには困難と混乱が伴っている。最初の混乱は、障害サービスや国際的な教育のなかで付随的によく使われてきたインテグレーション(integration)と、新たに使われるようになったインクルージョンの対立に起因するii)。たとえば韓国の特別教育にかんする学者は、最近の文書のなかでインテグレーションとインクルージョンの区別に失敗、もしくは区別していない。この単純な理由は、韓国語ではインテグレーションと同一ではない、インクルージョンに含まれている深い意味に順応できる新しい語彙が追いついていないという事実に関係している。このことは、日本語でも同じようにおこっている。私は、インクルージョンという単語は国連条約の批准とともに国際的な認知を獲得したヨーロッパの考え方を本質的に反映していると考える。インクルージョンを強調したCRPDの国連での採択は、その発展のために意義をあたえた。このことは、この地域が関係している限り、その概念をうまく処理することにおいてそれ自体で困難を引き起こす。国連でCRPDの交渉がおこなわれたときそれは、アジア太平洋地域を含めた世界のほかの地域からの代表にとってはほとんど未知の単語だったのだが、ヨーロッパの障害者組織(Disabled Peoples’ Organizations以下、DPO)は自分たちが既によく知っているインクルージョンという概念をもっとも力強く主張した。たとえばスペインのマラガで2003年5月に開かれた障害者のためのインクルーシブな政策を担当する大臣の第2回ヨーロッパ会議があった。この会議は、ヨーロッパの障害行動計画の審議(Council of Europe Disability Action Plan)の採択を勧めた。このことは、CRPDの国家提案を作成する際に、いくつかの締約国がいまだにその概念に苦労している理由を部分的に説明するかもしれない。もしかするとアジア太平洋の国は同様の過程をつづけなくてはならないのかもしれない。
たとえCRPDの文脈にかんする現在の議論に限定したとしても、インクルージョンという単語は重要である。なぜなら、それが主流の社会から決まって排除され([be] excluded)てきた10億人の障害者にかんするものだからだ。その差し迫った困難は、国際的な障害コミュニティがインテグレーションとの区別を明らかにした上でインクルージョンという単語を使うことにおいて一定の合意を提案または達成しなくてはならないということだ。インクルージョンが障害の政策とサービスの発展のための枠組みとして受け入れられるべきだということは、初めからしっかりと明確にされているべきだ。CRPDは、ほかの支配的な社会と障害者との関係を修復することにおいて、理論的、道徳的、法的、政治的構成概念としてインクルージョンを支持している。しかし、残っている困難は、国際的なコミュニティが、障害者と生きてゆくことの困難にいまだに不承不承で無知で無関心な支配的な社会の構造に意見を述べることにどのように取り組むのかということだ。すなわち実践的なインクルージョンである。これはあらゆる既存の社会にインクルージョンのための明白な場所を保障するための「障害種別をこえた協力」の戦略を模索することにつながる。たとえ障害者運動の歴史を概略的に振り返ったとしても、「障害種別をこえた協力」の実績は満足できるものとしては現れない。それでも私たちは、CRPDの成功をおさめた交渉における国際的な障害者運動の驚くほどの成果をすぐに引き合いに出すことができる。私たちがこの困難をもってこのワークショップから家に帰るというのが私の期待だ。そのテーマをあとで簡単にもう少し扱おうと思う。
このワークショップは、インクルージョンそれ自体の理論的な状況を扱うために設けられたのではなく、これが国際的な障害者運動に何を提供できるかという可能性を追求するために設けられたのだ。このことは、インクルージョンが提供するかもしれない実践的な可能性ついて防衛的でいるよりも肯定的でいられることを示唆する。理論の重要性にもかかわらず、排除とインクルージョンの過程、社会政策、人権にもともと備わっている幅広い政策的な影響を見過ごすことはできない(Silver 1994-6; De Haan n.d., 1998; Sen 2000; Kabeer n.d.; Peace 2001; Jackson 1999; Room 1999)。
インクルージョンという単語に代表される精神(spirits)および原則が、政策や経済、言語、ジェンダー、宗教、年齢、健康などの関連する問題を挙げることにおいて不可欠であることは、指摘しておくべきだ。このことは、障害者への示唆もあるだろう。それらの障害への影響を心に留めながら以下の問題について考えていこう。
・インクルージョンは、学問の世界においては真実の理論および方法として確立しているのか。
・何を根拠に排除は望ましくなく、インクルージョンは望ましいといえるのか。
・インクルージョンは、社会の規範か、非現実的な理想か、理解可能な考え方か。
・誰が何からどうやって排除またはインクルージョンされているのか。排除およびインクルージョンの手続きおよび仕組みとは何なのか。それらの単語の対立はどうなっているのか(Jackson 1999)。
・理論的および道徳的な問題にもかかわらず、私たちは実現可能な理論的探求としてまだインクルージョンを受け入れるのか(Loury 1999; Jackson 1999)。
・インクルージョンにもともと備わっている緊張や可能性の問題に私たちはどう対処すべきか(Askonas & Stewart, 2000)。
・インクルージョンは、全般的な施設改善のための前進的な政府介入の前提となるのか。
・インクルージョンは、理に適ったもっともな社会の計画とどのように結びつくのか。
・インクルージョンは、国際化の競争的、市場的に支配されたこの時代において実行可能性はあるのか。さらにとくに韓国社会のような競争社会においてインクルージョンの位置づく場所はあるのか。 など
与えられた時間で「インクルージョンにもともと備わっている緊張や可能性の問題」と「インクルージョンは、理に適ったもっともな社会の計画とどのように結びつくのか」について考えてみたい。精神障害者の社会的なインクルージョンの倫理、法律、政治が上述の問題と直接に交わっていることに注目しよう。倫理的な観点から、その人の個性や社会的存在は所属や共有の感覚がないところに隔離されていては経験できない。このワークショップで、社会における活動的な市民としての自立生活、参加、インクルージョンの可能性に私たちは興奮している。しかし同時に、そのような興奮は、実は精神障害者とともにどのように生きてゆけばよいかわからないという恐怖と巨大な緊張に直面している。厳しい現実は、精神障害者は参加の可能性とインクルージョンという極と、そのような可能性がはねつけられるという緊張の極という2つの対立した力のあいだに捕えられているというものだ。このワークショップでは、社会における活動的な市民としての自立生活、参加、インクルージョンの可能性に興奮している。しかし同時に、そのような興奮は、精神障害者とともにどのように生きてゆけばよいかわからないという実は恐怖と巨大な緊張に直面している。
インクルージョンの困難を理解する
広範囲な文献調査のなかに入っていかなくとも、全体として文献がその定義についてなんの合意にも至っていないことに気づくには十分である(Cameroon 2006)。このことは、CRPDの履行の過程で韓国やほかの国によってよく証明されている。またこのことは、インクルージョンの問題が説明も解決もできないことを示唆している。
韓国語の통합は、インクルージョンを意味する単語として使われているが、実際にはインテグレーションを意味している。インクルージョンに対応する新しい語彙を作り出すのが追いついていないからだ。インテグレーションという単語は、治療の必要のある問題をかかえていて、依存的で消極的である、それゆえに健常者のように独立できるように社会的医学的なリハビリテーションのサービスを受けるべき人として障害者を見る。この期待は、重荷となり、パーソンズの病人役割と似た役割を課す(Millon 1999)。障害者は、例外なくレッテルを貼られ排除されている。彼らを社会に適応させるための治療やリハビリテーションの試みは、次々にさらなる彼らの分離を強固にする特別なサービスの開発、すなわち排除という結果を生んだ。障害者サービスの鍵となる目的は、主流の社会に彼らを同化、統合(integrate)、適応させることを可能にすること、あるいは強要することだった。それは、障害と結びつく差異を拡大することにより、分離と消極性を強要した。それゆえに同化のための努力は、障害者とその家族に帰責されてきた。それは、彼らがそのような押しつけを拒絶する力をもたないからであり、障害者と地域との関係が権力と不平等の関係であるという事実を下支えしている。同化に向けた困難な過程を乗り越えたあと、障害者は社会に統合されていると他者に認識され支援されるかもしれない。この意味で過去のインテグレーションの意味は、同化的統合(assimilated integration)としてもっともよく理解できる。このアプローチにおいては変化の対象は、常に障害のある個人であり、障害者を定義し主流から排斥する権力をもっている支配者ではない(Kim 2012)。CRPDの第1条は、同化的統合を強調するのに使われていた障害の因襲的な医学的定義を障害の人権モデルに置き換えるということを述べている。締約国は、この原則と一致するように現存する法制、政策、サービスを改革することを期待されている。韓国政府の現在の障害者サービスの指針は、障害の人権モデルを十分に反映していない。法制や政策がインクルージョンの原則を採用するように見直される予定であるという点で、同時に可能性も緊張も暗示している(Askonas & Stewart, 2000)。インクルージョンという概念のかなり限られた概観からでも、インクルージョンという概念がどのように使われるかということについて、韓国語と日本語の例のように、まだなんの合意に至ってもいないけれども、多くの方法で使われていることがわかる。しかし、中国語は2つの分離した語彙をもっているようだ。インクルージョンを意味する「融合」と、障害者自身が社会に統合されるように努力しなければならないことを強調するインテグレーションを意味する「整合」である。インクルージョンについてのCRPDの態度にもかかわらず、一つの決議に達する固定した概念にはなりえず、動的で連続的で遅く構築された概念であるという意味で、実際には「インクルージョンが〔インテグレーションと――訳者註〕同時に存在する(simultaneous)概念だと理解しうる」ということを示すのは無理ではないだろう。筆者のこの立場は、障害者権利委員会や子どもの権利条約といったほかの委員会での多くの議論のなかで立証されてきた。
同時に存在する概念としてのインクルージョンの認識は、条約の実現を進めるCRPDの考えともよく結びつくであろう便利なものだ。それは締約国がインクルージョンを達成するために徐々に戦略を動員していくことを可能にする。実はこれは、法改正の過程でおこっていること、障害に対する世間の認識を深めていくこと、特別支援教育からインクルーシブ教育への転換をおこなっていくことである。
インクルージョンは、以下で示すように、障害者の社会的地位を変革することを目的にしたとき重要になる。
それゆえに、以下の仮最終報告にたどりつけるのだ。
a. インクルージョンには、排除や疎外といったほかの価値観と比べて、追及すべき積極的な価値がある。
<図1> 障害者の地位の変化
b. インクルージョンは、多面的で同時に(simultaneously)動的な概念であり、そういうものとして単一のアプローチを受け入れない。多元的および同時的な文脈で見出される力関係、文化、社会的なアイデンティティだけでなく、経済的、政策的、社会的な排除の支配もある。
c. インクルージョンは、特定の状況の文脈を示しているのかもしれないが、個人が特定の施設に排除される過程も暗示しうる。ここでは焦点は、排除の過程を説明する施設に当てられている。施設的な排除および人権侵害が、インクルージョンの視点からアプローチされるかもしれない。
本稿は、インクルージョンの理論や実践についてのさらなる研究が、それが法的政策的な発展のための基盤としての鍵となる役割をすることを保障する必要があることを示す。同様の主張は、アドボカシーや相談活動を進める枠組みとしてインクルージョンを採用しうる障害者組織にも向けうる。インクルージョンは、実践のための枠組みであるだけでなく旅として開始するものだ。見苦しくない生活水準を保障する人間のニーズを満たすものだけでなく、とくに教育、雇用、アクセシビリティ、法的能力、文化などの分野で、平等な機会を提供する重要な公共のものやサービスを障害者が利用できるようにすべきである。このことは、議会、領域横断的な省庁、地元の地方自治体といった関連する権力にインクルーシブな政策を作成させるように影響を与えるときの活動のための示唆ももっている。
慎ましくはCRPDの履行において直接役に立つという事実をもっているというインクルージョンの本当の意義を参加者に納得してもらうことができたなら、このプレゼンテーションは成功といえる。より広い意味では、実利主義的な探求によって動かされるよりも思いやりのある社会をつくることにより敏感になる方向に国際的な障害のコミュニティが進んでいくことを望んでいる。
地域での自立生活で直面するいくつかの実践的な課題
1.ほかの横断的な条文の引き金となる触媒としての第19条
第19条にかんするあらゆる議論は、「自立生活および地域へのインクルージョンのための障害者の権利にかんするテーマ報告(Thematic study on the right of persons with disabilities to live independently and be included in the community)」(人権理事会第28回セッション 議題項目2および3)にもすでに詳細に説明されているように、ほかの条文との相互依存的な側面を認識することから始めなくてはならない。私は、締約国、国内人権機関(National Human Rights Institutions: NHRIs)、NGOs、政府間組織によるそのテーマについての初期の提案、および2012年6月のCRPDとインクルージョン・インターナショナルによってブリュッセルで開かれた2つのワークショップの協議も十分に認識している。とくにCRPDとインクルージョン・インターナショナルの共同ワークショップでは、第19条の履行において経済的に豊かでない国が直面する障壁を明らかにしていた。
私は、韓国での仕事から得た経験を描くことによってこのパネルに貢献し、何年も相談役/NGOの出席者として参加してきたアジア太平洋地域の文脈においてそれほどでないにせよ貢献したいと思う。その情報はその地域の特定の経験を反映しているかもしれないが、それらは多くの発展途上国が直面している障壁を強調することに応用しうる。発展途上国の10億人の障害者が、第19条の履行によって自立生活を進めるために先進国が経験してきたものとは異なる障壁に直面するだろう。
施設は、障害者への慈悲的なケアおよび1950年の韓国の戦争のときからのひどい貧困の時代からの共通の名残として隆盛している。分離という目的のために機能し、実際に障害者を社会から隔離し続けている。このように考えると、自立生活は、条約の第19条に述べられているように、思いやりの保護的で慈悲的な施設パラダイムの遺産の脱構築と同じである。しかし、世界の多くの地域でそのパラダイムは、社会政策的および経済的な理由のための変革のヒントが非常に少ないままでまだ続いている。
自立生活は、最小限の制限で一般的な環境に帰るという障害者の決定を尊重することがすべてである。自立生活は、ほかの人から自立して一人で生きていくということだけでなく、ほかの人とともに地域で生活することでもあるのだと私たちは言ってきた。それは、決定に自律性や自立性をもつことであり、自分の人生を選択しかたちづくっていくことを自身ですることである。地域での生活に支援が必要であれば、それは提供されるべきである。
韓国にとって、自立生活を実行することは、多くの行動をおこなうことであり、ときにそれは、政府に改善をおこなわせるための一部の障害者による暴力的な社会運動だった。新たな試みは、障害者自身とともに始まったのだ。施設に対し、それを人権侵害、性的虐待、暴力が日常の一部になってしまっている不適当で隔離された生活空間として異議を唱え始めた。その社会運動は、自己決定権や施設の計画や経営に異議を申し立てる権利の回復、介助サービス、移動の権利を要求し、施設での支援から自立生活へ政策を変更するよう政府を説得した。韓国の社会運動は日本の運動と協力し、アジア太平洋地域でのほかの運動を引き入れるようになった。
自立生活を実行していくこと:自立生活のための最初の力は、いくつかの施設についての調査から生まれた。それらは、人権侵害、性的虐待、暴力を主張するための調査をする過程の一部としておこなわれた。
<よい実践の例:韓国の草の根運動家によって発展してきた自立生活のクリティカルパスとしての流れ>
資料:「強制的な施設から自由な障害者!(Free Persons with Disabilities from Forced institutionalization!)」公開報告集・於:ソウル・2014年3月7日
人口1200万人のソウル市の首都政府は、この調査の結果として5年間の自立生活計画を採択した。
この調査は、50%以上の入所者が施設の外で生活することを望んでいて、70%は一定の条件が整えば出ていく意思をもっていることを明らかにした。一定の条件とは、住居、まあまあの生活を保障する仕事、介助者へのアクセス、友人、家族生活、施設での生活では否定されていた何をするのか、どこへ行くのか、何を買って食べるのかという選択ができることである。
その計画では、2013年から2017年のあいだに3038人中600人(20%)が施設から出ることを構想した。
第19条への含意:上述のフローチャートは、自立生活のそれぞれの重要な経路が、CRPDのほかの主題の条文がCRPDの基準に合わせることを通して法律や政策、計画に同等に統合されることを求めているという事実を指摘する以上のことをしている。そのフローチャートは、どこでどのように生活するのかという自立生活にかんする個人の決定をするための第12条に始まり、第5、8、9、14、20、22、23、27、28条のそれぞれにつながっていく。第32条国際協力は、しばしば無視されてしまうので、強調されるべきだ。NGOや海外援助によって着手される国際協力は、かつては例外なく、生存のための基本的ニーズを満たすことで障害者(the disabled)をケアおよび保護する施設を建設することによって、多くの発展途上国の障害者(the disabled)を援助することを意味していた。それは、しばしば自立生活をくじく永続的な特徴となってきた。国際協力は、入手が容易で補助的な技術の入手の促進を含めて情報や経験、トレーニングプログラム、よい実践を交換したり共有したりすることを通して、自立生活のための能力(capacity)をつくっていくことと連動すべきである。
ソウル市計画の実行からの教訓
1.600人の障害者を施設から地域生活に移行させるのを保障するのに十分な予算を充てられなかったこと。
2.共同住居や共同生活を含めて異なる種類の障害の異なるニーズに適合させるための住居の種類の多様性をよく考えることなく、計画を実行してしまったこと。
3.深刻な問題を引き起こす住居のある、体制が整っておらず非協力的な私的賃貸市場に頼らざるを得なかったこと。
4.雇用の保証がなく、障害者住居の厳密な収入調査がなされ、経済的な問題が自立生活のための機会を実らせなかったこと。
5.質的なことを犠牲にして、量的な改変/評価だけが強調されたこと。
6.自立生活に必要な介助サービスの保障がなかったこと。
7.知的/精神障害者がさらなる困難に直面してしまったこと。
8.自立生活を支援しチェックする訓練された人材の不足。もしできればたとえばケースマネジメントの技術をもった人。
9.支援後の期間の中期または長期的な計画の必要性。
10.主に貧困のために、施設への入所のために列を作っている障害者を思いとどまらせる仕組みが必要だったこと。
11.自立生活についての継続的な公的啓発プログラム。
12.自立生活のための経済的な義務を受けいれるように関係の地方自治体を訴えるための法的活動が必要だったこと。
13.社会的に地域精神(community spirit)/ゲマインシャフトが衰えつつある時代に自立生活を主張することの困難。
資料:「強制収容から障害者を自由に! (Free Persons with Disabilities from Forced institutionalization!)」公開討議論集2014年3月7日、ソウル市。
インクルーシブな国際社会のための障害の種別をこえた協力
以下の議論はある意味で障害の種別をこえた協力が、A、B、Cに以上にまとめた理由で、インクルージョンに明確に焦点をあてた組織になりうることを予兆している。障害種別をこえた戦略のためにもう少し戦略を練ってみたほうがよいだろう。
障害種別をこえた協力のための戦略
この講演で2組のスケッチをお見せすることにより例を挙げて説明すること目的とする。簡単に説明すると、一つは、それぞれの障害に特化した組織の利益や関心を代表して集まる大きな障害者組織として描くことができる。もう一つは、異なる国の障害者組織が国際的な力の連合として結集するというものだ。国際的な運動としての、異なっているけれども内部ではつながっている過程は、違いや対立に対処していくことにおいてまだいっしょに取り組めるようになっていない。それにもかかわらず、CRPDはこのゴールにたどり着くことを可能にするために私たちとともにある。以下の資料は、国をこえた協力および障害種別をこえた協力を導くさらなる議論のために提出されている。
A.インクルージョンのために障害の人権モデルを進める
インクルージョンの人権という側面を心に留めておくべきだ。なぜならそれは、私たちまさに一人ひとりが尊厳をもって一緒にいきていくことそのものだからである。障害者の権利から知っているように、これを達成するまでには長い道のりがある。インクルージョンのような人権運動とは、障害者を含めた人々が、不公平や差別、偏見に立ち向かい、困難に直面しているにもかかわらず連帯していくことだ。CRPDに組み入れられている障害の人権モデルは、障害者およびその家族が十分に社会参加できることを保障するために偏見や差別、分離、過保護、排除という過去の実践をとり除く理想とみなされなくてはならない。その議論において現時点では、CRPDの原則が障害者のインクルージョンを保障するために何を強調しているのかを思い起こしておいた方がよいかもしれない。それは以下である。
Ø 障害者の文脈における人権の原則を明らかにする。
Ø 全国的な法律や政策で使える障害の信頼できるモデルを政府に提示する。
Ø 障害者の権利を監視する効果的な仕組みをつくる。
Ø 障害者の権利と自由にかんする国際的な基準を設置する。
Ø 世界の障害者のよりよい参加やインクルージョン、自己満足のための共通の基盤を設置する。
Ø 障害者やその代表組織との協議の基盤を提供する。
障害の人権モデルは、法的、政治的、社会的な権利が付随する障害者の市民としての地位の認識において、特徴を必ずしもはっきりさせてしまうことなく、異なっている権利(the right to be different)と同じである権利(the right to be the same)を支持する(Kim 1998, 2003, 2008, 2012)。典型的なインクルージョンにおける障害者の市民としての地位の考え方に同意するのであれば、その基礎にある原則はあたり前にならなくてはならない。これが、インクルージョンにもともとある価値が支持されるべきだという筆者の主張の一部である。同化的統合(assimilated integration)の過程とは違ってインクルージョンは、障害者と健常者のあいだの平等、また障害者と主流の社会の両者が相互の違いや特徴を受けいれるという文脈で理解できる。表1のように排除から完全なインクルージョンへと障害者の地位をかえる。
B.効果的なアドボカシー
アドボカシーを定義することによって、障害者/DPOが自分たちの権利や責任を理解することを助ける。それによって、地域でよりよい参加/支援をおこなうことができる。
² 個人のアドボカシー/コンサルタント
個人のアドボカシーは、以下のことを主張することである。
あなたに代わって主張すること(このアドボカシーは、電話や手紙、会議を通してあなたのいいたいことを周知することができる)。
あなたの権利が尊重されていることを確かめる(このアドボカシーは、あなたが異議を唱えるときの援助となる)。
あなたの問題について議論する(このアドボカシーは、あなたが可能な選択肢を熟慮することを助ける)。
あなたに情報を提供し、適切なサービスに照会すること(このアドボカシーは、関連するサービスにあなたを結びつけることができる)。
a. セルフアドボカシーは、障害者が以下のことをできるように支援するために主張することである。
自分のために主張すること。
私的に自分のニーズを説明すること。
自分の権利擁護をすること。
自分の責任を知ること。
自分の生活をコントロールすること。
自己決定すること。
b. 地域教育の道具には、ワークショップ、プレゼンテーション、情報冊子、会報の発行、適切な最高機関/委員会への参加が含まれている。地域を教育することの例の一つは、地域の人を教育するための「障害の意識(Disability Awareness)」というプログラムである。それは、よりうまくニーズを満たし、行動し、知識と自信をもって地域のあらゆる人と同じように障害者に適切に反応するためのプログラムである。
c. コンシューマーのトレーニング
コンシューマーのトレーニングの道具には、最大限の結果を獲得するために、毅然とした態度で自分たちのアドボケイトや主張をする方法をサービスの利用者に教えることを目的とした題目のワークショップのプレゼンテーションを含む。サービスの利用者は、ケースマネジメントの一部として、また支援団体やサービスのプレゼンテーションを通して、個人的なトレーニングを受ける。
d. 支援、照会、情報
ほかの障害や保健、福祉サービスだけでなく支援、照会、情報が、DANによってサービスの利用者や地域、支援者や関心のある集団に提供される。
e. コンサルタント
よいコンサルタントの特性
・聴取や観察の能力
・すぐれた文書作成、分析、問題解決の技術
・異なる視点からものをみる能力
・さまざまな調査の道具や技術を動員する能力
・異なる文化的な文脈や関係に対処する能力
・行動のための方法/戦略を発展させる能力
・仕事のそれぞれの部分に特定の文脈を適用すること
・計画や状況の変化への柔軟さ
・実行のむずかしさや、到達できないかもしれないことに対して正直であること
・時を得た行動と報告
・必要なあらゆる変更をよろこんで確認したり議論したりすること
・利用者や組織への共感
f. 体系的なアドボカシー
選ばれたテーマあるいは問題となっている分野についての声明文や提案のプレゼンテーションは、代わりに体系的なアドボカシーサービスを発展させる。これは、オーストラリアのクイーンズランドのアドボカシーサービスの例に説明されている。(参照:https:www.dss.gov.au/our-responsibilities/disability-and-carers/for-people-with-disabilit/external-merit-review/support-com/ (Accessed on13 October, 2015))
人権法律サービス(Human Rights Legal Service: HRLS):HRLSは、クイーンズランドで弱さのある障害者に法的な助言、照会、プレゼンテーションの専門家を提供している。HRLSは、クイーンズランドで制限をする実践や非自発的な治療を受けてきた障害者(persons with impaired capacity)を優先している。
精神保健法律サービス(Mental Health Legal Service: MHLS):MHLSは、クイーンズランドの精神衛生法にかんする無料の法律相談を提供することに専念した法律サービスの専門家である。
司法支援プログラム(Justice Support Program: JSP):JSPは、地域にいられるように障害者を支援し、刑事司法システムに留まりつづけてしまうことを防ぐ品質保証指導書(Quality Assurance Instruction: QAI)構想である。
結論:インクルージョンのための国をこえた協力と障害の種別をこえた協力
本稿では、効果的な障害種別をこえた協力のために散在している国際的な障害者コミュニティをどのように引き入れていくかを探そうと努めてきた。アプローチは、国をこえたCRPDの履行の文脈において含まれるすべての含意をともなったインクルージョンの概念を中心にした。論点は、戦略としてのインクルージョンのさらなる利用は法的および政策的発展の基盤として決定的な役割をするだろうということである。同様に、国際的な障害者組織は、インクルージョンがコンサルタントやアドボカシー、社会政策的な活動を先導することを保障するために協力できるのだ。より実際的には、インクルージョンは、教育や雇用、アクセシビリティ、法的能力における平等な機会を提供し、さらに人権を実現するための主要な条件であるニーズを満たすことを保障する重要な公的資源およびサービスへの障害者のアクセスを可能にすべきである。インクルージョンという概念とともに、本稿では、障害者がほかのあらゆる人と同じように市民であること、政治的及び公的な生活や教育、相当な(decent)雇用とそのトレーニング、医療ケア、社会福祉、情報へのアクセス、文化、余暇といったすべてのレベルについて保障しなくてはならないことの適切な主張をおこなってきた。このことは、国会や領域横断的な省庁、地方自治体といった関連する権力が、市民権の促進を政策提言や政府への障害者の社会的なインクルージョンに迫る仕事をしなくてはならないということにおいて行動に示唆を与える。
本稿は、CRPDの履行につつましくも直接の手段となるという事実があるというインクルージョンの本当の意義を納得させることができたなら、成功である。広義には、実利主義の追及に動かされてしまうよりも、人間らしい(humanizing)社会への発展のさらなるステップを国際的な障害者コミュニティがふんでいくのを導くことを望んでいる。
[原註]
1) Jung, Dae Young (2002), “특수교육의 전망과 과제” (特別支援教育の可能性――困難と課題). 제10회 RI Korea 재활대회: 한국장애 10 년의 전망과 과제.
[訳註]
i) 翻訳では「psychosocial disability」の日本語訳「心理社会的障害」がまだ馴染みが薄いという理由から「精神障害」と訳している。「psychosocial disability」という用語をWNUSPは次のように説明している。
「精神障害(psychosocial disability)」という用語は以下のようなことを表現する方法である。
- 「精神病」というレッテルを貼られる経験や状態の医学モデルよりも社会モデル。
- その人の生活の状態の内的及び外的要因が、通常よりも多くの支援や配慮を必要とする人には影響しうるという認識。
- かならずしも障害(impairment)として経験されるものではない社会的、感情的、知的、精神的な状態や経験への懲罰的、病理学的、パターナリズム的な反応が障害をつくるのだという認識。
- 強制的な入院や入所、強制的な投薬や電気ショック、精神外科、拘束(restraints)、身体拘束(straitjackets)、隔離、強制的に裸にしたり施設の衣服を着せたりといった品位を傷つける実践が、障害にもとづく暴力や差別の形態であり、二次的な障害を生む結果となる身体的及び精神的な傷の要因ともなるという認識。
- 障害者としての自己認識はもっていないけれど、精神病というレッテルを貼られたり、特定の精神医学診断をもっているものとして扱われたりしている人たちのインクルージョン。(WNUSP 2008)
ii) 辞書的には、インクルージョンは「1.包含、包括、算入、2.含まれるもの」(小西・南出 2001: 956)という意味で対義語は除外や排除を意味するエクスクルージョン(exclusion)、インテグレーションは「統合、統一」(小西・南出 2001: 982)という意味である。筆者はこの2つの単語をイタリック体にして強調している。翻訳では、筆者の解釈がわかりにくくならないよう、ともに片仮名表記とした。
[文献]
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(訳:伊東香純)